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エヴァンゲリオン掲示板
- 1 星野ゴルビー@hNcnf8sy [2025/03/24(Mon) 19:05]
- カーナーシーミノームコーオーエトー
- 2 星野ゴルビー@hNcnf8sy [2025/03/24(Mon) 19:06]
- 淫夢は世界を救う!二十四時間テレビ!
- 3 いずしも!≦出雲の下関≧@上町さかえ@.vO92e2y [2025/03/24(Mon) 19:19]
- 碇シンジ(淫夢)
- 4 星野ゴルビー@hNcnf8sy [2025/03/24(Mon) 21:23]
- 伊藤誠と碇シンジのBLにありそうなこと→・伊藤誠が碇シンジのアイスティーに睡眠薬を入れる。あと碇シンジを口説いて抵抗をやめさせる。
- 5 唐澤貴洋@hNcnf8sy [2025/03/25(Tue) 12:14]
- 碇シンジ(淫夢) 「イトーさん!まずいですよ!」
- 6 星野ゴルビー大統領@hNcnf8sy [2025/03/25(Tue) 17:05]
- みんな!使ってくれ!
- 7 夜神月書記長@wCPjjnw0 [2025/04/07(Mon) 21:22]
- エヴァ初号機に乗りてぇ〜
- 8 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:19]
- おっここにエヴァのスレあんじゃん。
旧劇の素晴らしさについて書いていくか。
エヴァの旧劇は、ただのアニメにとどまらず、アニメーションというメディアを超えて「人間の心」を直視する作品だ。物語は一見、終末的であり、破壊的だが、それを一歩引いて見ると、実は我々の精神の闇を映し出す鏡のようなものだと気づく。その特徴的なラストシーンは、ただの衝撃的な結末ではない。シンジの精神的葛藤と自己否定が、我々全員が共感できる部分を突き刺す。
特に、心の葛藤が視覚的に表現されることで、視聴者はその深い絶望をリアルに感じる。そしてその終わり方があまりに突拍子もないことに気づく。従来のアニメの枠組みでは考えられないような、哲学的、宗教的要素が絡み合うその構成。あの無常感が逆にリアルで、視聴者に自分の生き方や存在について深く考えさせる。
「死に至る病」ともいえるテーマを扱うことで、エヴァはただのエンタメでは終わらない。それが深すぎて、逆に答えを求めることが無意味だと気づかされる。その不可解さに打ちのめされながらも、何度も見返したくなるのが旧劇の魅力だろう。
- 9 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:27]
- 「エヴァンゲリオン」のAir/まごころを、君に、いや、もう、あの侵攻シーンでの戦略自衛隊の登場からすべてが圧倒的すぎる。あの、まるで現実が崩れ落ちる瞬間に引き込まれる感覚。序盤の自衛隊の空挺部隊が、まさにただの”軍”じゃない、圧倒的に無力な人間の必死の抵抗として描かれているのがヤバい。大気を裂くような、戦闘機の音。ドガン!っていうあの爆音がまるで世界の終わりの音みたいに響く。だけど、あの時点ではまだ”普通の”戦争なんだよね。ガフの扉開いて、“普通”の人間対普通の人間が繰り広げられてると思わせておいて…あの瞬間から、「エヴァ」という作品の”異常さ”が、視覚的にも心理的にもじわじわと迫ってくる。まさに『人間の戦争』という範疇では語りきれない、何か異質なモノが視界に入り込んでくる。
そして、やっぱりあの戦闘シーンが進むにつれて、どんどん明確になるのは、視覚的な圧倒感だけじゃなくて、物語が示唆する”終焉”の方向性。人間がどんなに必死に立ち向かっても、最終的には圧倒的な力には勝てない—でも、それを自衛隊が感じているのではなく、私たちがその視点で感じているということがめちゃくちゃ巧妙に描かれている。もう、その一瞬一瞬が、ただの兵士や戦争の描写を超えて、神話のような重みを帯びていく。
- 10 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:29]
- 戦略自衛隊の侵攻シーン、あれは本当にただの「軍事シーン」ではない。最初は、ただの兵士たちが登場して、標準的な武装で、どこか”普通”な戦闘が始まったように見える。しかし、戦闘機が飛び立ち、空中での激しい爆音が響く中、観る者の感覚が次第に狂わされていく。それが「エヴァンゲリオン」の特徴的な手法で、まさに普通の現実を持ってきたように見せかけながら、徐々にその背後にある異常な力を浮き彫りにしていく。
まず、空挺部隊が降下してくるシーン。普段見慣れた軍事映画ではこれが一種のヒーロー的瞬間になりがちだが、エヴァのそれは完全に逆。無数の兵士たちがまるで命を削るように、真っ直ぐに空から降りてくる。急降下する様子が、どこか無理に動かされているようで、視覚的に絶望感を与えてくる。あの兵士たちが、まるで「自分の意思で戦っている」と思わせる瞬間がない。彼らはあくまで”人間”であり、異次元の力に対してはまるで歯が立たない。まさにその無力感が、このシーンを単なる「戦争の描写」では終わらせない。空中で開くパラシュートの瞬間が、まるで命運を決定づけるようにゆっくりと映し出されるのだ。
- 11 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:30]
- その後、地上戦のシーンでの武器の使い方も、従来の戦争映画のそれとは一線を画す。兵士たちが必死で火力を浴びせるも、次々と使徒が現れては、すぐさまその威力を跳ね返していく。その場面で視覚的に強烈だったのは、兵士たちがただひたすら走り、逃げ、戦い、倒れていく姿。まるで、これが「普通の戦争」のはずが、現実と大きくズレていく様子を感じさせる。エヴァンゲリオンの戦闘シーンが特に際立つのは、そのスピード感と絶望感だが、同時に視覚的に巧妙に配置された各部隊の動きが無駄なく、まるで生き物のように絡み合う。
その中で、兵士たちの表情を見逃してはいけない。焦り、恐怖、絶望—それらが見て取れるのがこのシーンの本質だ。戦闘が進んでいくごとに、兵士たちの目が次第に死んだ魚のように見えてくる。だんだんと、彼らの持つ武器や兵器が、まるで無力であるかのように見えてきて、視聴者も無意識にその感覚に引き込まれていく。自衛隊の兵士がどれだけ戦おうとも、結局その脅威に対しては「死」の前には何もできないという事実が、手に取るように感じられる。
この戦闘シーンは、確かに軍事的なリアリズムに基づいているのだけれど、戦場の混沌とした感覚に加えて、明確な「非現実感」をもたらす。それは、あたかも戦争というものが、普通の人間の手の届かない異常な力によって支配されているかのように。兵士たちが必死に進撃するその先に待っているのは、何もかもを押しつぶすような圧倒的な存在なのだ。あの侵攻シーンは、ただの戦争描写を超えて、人間の無力さとその先にある運命的な悲劇を描き出す象徴的な瞬間だと感じざるを得ない。
- 12 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:32]
- まごころを、君にの冒頭、サードインパクト直前の戦略自衛隊の描写は、もう言葉では表しきれない絶望感で満ちている。戦略自衛隊は、どんなに強大な軍事力を誇っていても、その目の前に立ちはだかる「使徒」や「エヴァ」の存在が、いかに非人間的で、常識では計り知れない力を持っているかということを、まざまざと突きつけられるシーンだ。
まず、作戦が始まる前の段階で、軍上層部や作戦司令官たちは、いまだに冷静に指示を出している。しかし、戦闘が始まるとその「冷静さ」は徐々に崩れていき、観る者もその過程を手に取るように感じ取れる。兵士たちは必死に戦うが、その動きが徐々に歯が立たなくなり、無力感に押しつぶされていく。エヴァンゲリオンが登場した時点で、その圧倒的な力にどれほど人間の兵器が及ばないか、はっきりと示される。
そして、ついに「作戦は失敗だったな」というセリフが発せられる。これがまた、ただの諦めや敗北宣言ではないのがポイントだ。言葉通り、「作戦」とは、サードインパクトを防ぐための最後の手段だったはずだ。しかし、目の前に広がる光景が、それをすべて覆してしまう。作戦が「失敗」だったのは、決して兵士たちの努力が足りなかったからではなく、その努力を無に帰す「異常な力」に対する認識の不足、そして「作戦」そのものが人間の理解を超えていたからだ。
- 13 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:33]
- ここでの使徒は、『量産機』と脳内補完で捉えてください。
- 14 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:36]
- 「まごころを、君に」のあのシーン、特に人類のA.T.フィールドが中和されてLCLに変わっていく瞬間は、もう視覚的にも精神的にも圧倒的なインパクトを持っている。正直言って、あの一連の流れはエヴァの最も哲学的であり、心を揺さぶる瞬間のひとつで、見るたびに感情が引き裂かれる思いだ。
あのシーンの核心にあるのは、“A.T.フィールド”という概念だ。これが、もともとは人間が自分自身を守るための心の壁、つまり、他者との関わりを遮断し、孤独を守るための防衛本能として描かれてきた。エヴァンゲリオンが描く最大のテーマであり、その存在は人間関係の恐れや傷つきやすさ、そして本質的な孤独を象徴している。しかし、そんなA.T.フィールドが、真実を見つめることによって中和され、最終的にLCLという一種の共鳴的な「一体感」に変わる瞬間はまさに衝撃的。
シーンが進んでいく中で、見る者はまるでそのA.T.フィールドが溶けていく過程を目の前で体験しているように感じる。壁が崩れて、強固に立ちはだかっていたものが一瞬で消え失せ、代わりに満たされていくのは、まるで「一つの存在」として全てがつながっていくような感覚だ。その映像が描くのは、ただの「溶け合い」ではなく、人間が長い間持ち続けてきた壁、恐れ、隔たりが無くなり、まるで大海に還っていくような、何とも言えない解放感と安堵感が広がる。
- 15 いずしも!@陸上帝国自衛隊本町第3駐屯区@DAhwqVU0 [2025/04/07(Mon) 23:37]
- LCLの液体が人間の形状に合わせて形を変え、最終的にその存在が一つに溶け込んでいく様子が本当に狂おしいほど美しい。個々の「自己」を超えて、全てが共鳴し合い、ひとつの「全体」へと収束していく。この時、視覚的にそれぞれの人間が「一つになる」過程が、まるでエヴァンゲリオン全体の物語を象徴するかのように展開される。絶望的な状況の中で、人間同士の壁を超えて、ついに「共感」や「理解」が実現する。エヴァンゲリオンのテーマである「人間の孤独」と「他者との繋がり」が、まさにこの瞬間に集約されている。
しかも、このシーンがもたらす最大の衝撃は、それが単なる精神的な昇華だけに留まらないところだ。A.T.フィールドが崩壊し、LCLに変わるその瞬間、観客は自分が「他者との繋がり」に一歩踏み込んだような感覚に捉えられる。あの無数の顔が、一瞬で無に還り、最終的には自分もその一部になったかのように感じられる。まるで、長い間孤立していた「自己」が完全に剥がれ落ち、集団としての「人間性」が顕現するその瞬間が恐ろしいほど美しいのだ。
そしてこの変化を経て、何が生まれるのか。LCLになっていくことで、視覚的には「一つ」に溶け込んだかのように見えるが、実際にはそれぞれが異なる形で「自分」としての認識を持ち続けているという矛盾が、このシーンの深みを一層増している。個々の存在が消えていくようでいて、逆にその消失こそが「真の理解」に至るための過程だと理解させてくれる。要するに、あの瞬間は「自己を超えたもの」の証明であり、最も怖れた「全ての壁を取り払う」ことによって初めて得られる純粋な「愛」と「理解」の象徴的な瞬間なんだ。
このシーンが持つ力は、視覚的なインパクトに留まらず、観る者に「自分は本当に他者を理解し合えているのか?」という問いを突きつけ、エヴァンゲリオンという作品が持つテーマの核心に深く迫ってくる。あの瞬間、誰もが一緒になり、でもどこかで違っている—それが絶妙に、そして悲劇的に描かれているのだ。
- 16 夜神月書記長@wCPjjnw0 [2025/04/08(Tue) 07:13]
- アスカ…
- 17 野獣先輩と化した石破茂@D.F8JLk0 [2025/04/10(Thu) 18:23]
- エヴァンゲリオン作品を観たあとに三島由紀夫の本読むと最高にいい。
- 18 おらねこ/oraneko ◆YwIGja0Q@AH.vi2.0 [2025/05/19(Mon) 05:34]
- 上げておきます
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