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レスが 490 を超えてます。500 を超えると書き込み出来なくなるよ
レスが 500 を超えてます。残念ながら全部は表示しません
ワニの掲示板334th
- 1 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/06(Mon) 16:19]
- 山芋がホクホクとかあり得ませんから。
カンストしたので有言実行、温泉鉄道コンテストをまたやります!
・第2回 温泉鉄道コンテスト
https://railway.chi-zu.net/170527.html
・中鉄電車(中京電気鉄道)
https://railway.chi-zu.net/168132.html
- 163 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/12(Sun) 15:41]
- ピエール=シモン・ラプラス
- 164 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/12(Sun) 19:37]
- 何か老害になった気分だ.
- 165 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/12(Sun) 19:40]
- お高校のお受験はさっぱりワカラナイデス…
- 166 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/12(Sun) 19:45]
- 部屋整理してたら殴り書きで鳴門うずしおライン、うだつ吉野川ラインって書いてある紙出てきた、懐かしい
- 167 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/12(Sun) 20:26]
- 特急ニセコの冷房故障したっていう件でノーレイボーエクスプレスなる列車名が爆誕してるの草
- 168 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 07:37]
- いい朝ですね
https://mobile.twitter.com/hellomitz3/status/143700803709340...
- 169 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 18:04]
- 相武急行の更新ができないので、路線がほとんど何もない状態で社史を書き出すとかいう前代未聞なことをやっている
- 170 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 18:05]
- 色々未定なので年号はあまり書いていない、後々書き足していく予定
データ消えると勿体ないのでとりあえず投下しときます
- 171 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 18:06]
- Ⅰ.池上電気鉄道の苦しい経営
1917年、池上本門寺への参詣輸送を目的として池上電気鉄道が設立された。当初は目黒〜雪ヶ谷〜池上〜大森に路線の敷設を計画していたが、目黒・大森側共に用地の確保に難航し、支線という扱いでひとまず池上〜蒲田を開業させた
建設資金の不足していた池上電鉄は高柳淳之助による支援を受けるが、投資家から吸い上げた資金のうち同社に使われたのはごく僅かで、高柳は同社を半ば私物化していた
1923年にようやく雪ヶ谷まで開業し、また世間から非難を浴びた高柳は退陣した。その後同社は東京川崎財閥の一員となるも、目黒方面への延伸を目黒蒲田電鉄に越されてしまう。これにより池上電鉄の地盤は目蒲電鉄に完全に封じ込まれてしまい、厳しい経営が続いた
- 172 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 18:06]
- Ⅱ.幻の東京大山電鉄
私鉄路線開業ブームでもあった1920年代、東京と江戸時代から観光客で賑わっていた大山・阿夫利神社を結ぶ路線が構想される。都電と接続する天現寺を起点とし、目黒、荏原、蟹ヶ谷、鴨居、三ツ境、長後、伊勢原、大山といったルートで計画されていたが、都心部で目蒲電鉄や池上電鉄との競合が避けられず路線免許が取得できなかった
そこで同社は、目蒲電鉄の開業により経営が難航していた池上電鉄に着目し、合併を提案した。当初池上電鉄側は東京大山電鉄の計画を現実的ではないとして渋っていたが、どうにかして都心に乗り入れて乗客を増やさないことには経営改善の目処が立ちそうにないという状況から合併を決定した
- 173 しぎ@ItaiqpU0 [2021/09/13(Mon) 18:07]
- Ⅲ.城南電気鉄道、怒涛の延伸
両社は城南電気鉄道と名を改め、まずは目黒・天現寺方面への延伸を目指した。当然目蒲電鉄は反発したが、城南電鉄はあくまでも神奈川方面への旅客輸送をメインとするため目蒲電鉄との競合関係は生まれないという主張が認められ、1925年にようやく目黒まで延伸。更に1927年には天現寺まで延伸し、都電との接続を開始した。またこの際に都電への直通を目論んで狭軌(1067mm)から馬車軌道(1372mm)に改軌されたものの、車両規格の問題で直通運転は実現しなかった
都心側にターミナルを確保した城南電鉄は、1930年に国鉄横浜線と接続する鴨居まで延伸。ちなみにこのとき南武線との乗換駅として開業した中丸子駅は、後に武蔵小杉駅として大発展を遂げる。その後も白根台、三ツ境、長後と順調に延伸していった城南電鉄だったが、肝心の大山乗り入れに関して問題が発生。それは、小田原急行電鉄との競合と駅設置への地元商店街の反対だった…
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